ご挨拶
天浦成人理立・春の団参で天浦分教会長様ご夫妻の親心にお応えしよう!
日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に誠真実を賜り、誠に有難うございます。
風さわやかに、花咲き乱れる春爛漫のこの月4月は、私達全人類の母なる教祖が御誕生遊ばされた縁りの月としておぢばでは教祖御誕生祭が執り行われます。
教祖は、空に五彩の雲たなびく寛政10年4月18日、大和国山辺郡三昧田にお生まれになられ、幼少の頃より慈悲と同情の心篤く、13歳で中山家に嫁がれてからも、夫に忠実やかにつかえ、父母には孝養を尽くし、自分を亡き者にしようとしたものに対してすら労りの心で接する等、人並優れた天分をお持ちの方であられました。
旬刻限が到来し、月日のやしろとお定まり下されてからは、親神様の思召しのままにお通り下され、あらゆる迫害の中を、万人たすかるひながたの道をお付け下さいました。
更に深い思惑から、現身を隠されて後も存命のまま日夜を分かたずお働き下されています。
来る18日には一同うち揃っておぢばに帰らせて頂き、かぐらづとめを拝すると共に、よろこびの大合唱に共に唱和して教祖の220回目のお誕生日を寿ぎ申し上げましょう。
更にその翌日19日は第100回婦人会総会が開催されます。
道の台としての女性が教祖から産み育ての徳分を頂く日であり、兵神大教会の春のおぢばがえり団参かつ、天浦別席団参でもあるこの日に一人でも多くの婦人会員そして別席者をお連れさせて頂きましょう。
又、今月は本年1回目の天浦成人理立を運ばせて頂く月柄に当たります。
これまでおたすけ頂いたご恩と我々天浦の理に繋がる子供の上におかけ下さる天浦分教会長様ご夫妻の親心に少しでもお応えさせて頂くべく、4月9日と仕切っての成人理立の御用を精一杯につとめさせて頂きましょう。
何卒今月も宜しくお願い申し上げます。
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 18名 |
よ ふ ぼ く | 1名 |
修養科生 | 3名 |
後継者講習会受講 | 1名 |
結構な中では結構が分からなくなる
木下寿美子先生 教話集 第2集「35、思い切りがいんねん切り」より
1月17日、皆さんも御承知のように阪神大震災という想像もつかないような、大きな地震を見せてもらいました。
幸い天浦分教会はこれという被害もなく、本当に有難い御守護を頂戴致しました。
その前の日から、沢山のご飯やらおかずを「取りに来い」と言われて・・・どうしてはかしたらいいかという位に貰ってきたもんですから、それをその日にもう一度蒸して、おむすびにしたりいろいろ味付けをして信者さんの家へ配らしてもらいました。
当日はどこもまだ、食物を運んでいませんから本当に喜んで頂いたそうです。
・・・お陰さまで二月の月次祭も普段と変わらない位に大勢さんがこうして参拝に帰って頂きました。
よほど御守護頂かなかったら、なかなかそう思うように参りません。
本当に届かんつとめ方でも、長い年限かけてお連れ通いただいたこの道というものは、なんという素晴らしいものやなあ。
今改めて「つくした理・運んだ理はどこへもいてはせんで、一粒万倍にして神が受け取って、返してやるで」と。
・・・要る時には要るだけのものを、何一つ不自由のないように結構にお連れ通り頂く。あまり結構の中にいると人間は結構がわからなくなる。
忘れてはならない想い
立教181年3月26日 順子奥様 団参バス車中の話より
本日は、八生兵庫分教会が教祖より名称の理を頂いた日です。
本日の教会となって8年という節目に、また再来年の創立10周年を迎えるにあたって、いま一度 教会設立までのことを思い返してみようと思います。
身動きのとれない日々
私たちは今から28年前に、道一条を定めて夫婦で(天浦分)教会に住み込ませて頂きました。
それから5年目にして、阪神大震災で現在の教会が建っている場所にあった自宅が全壊致しました。
これまでも教会になるようにとの声を上級から何度も頂きながら、社長であった父はそのお声に添えずに商売をしてきて、いよいよ神様が会社を潰して下さったにも関わらず、布教所の神様だけを別のマンションに追いやった形で、二階建てのプレハブを建てて商売を再開しました。
私たちは残念な思いを抱えながら、只々気兼ねなく人さんをお呼びしてどなたでも住み込んで頂けるようなたすけ道場をしたい─
上段のある神殿で手を揃え、鳴物を揃えて、勇んでおつとめをつとめたい─。
ただそれだけを一途に思っておりました。
当時から八生兵庫は年限も信者の数も、どの部内よりありましたので、だんだんと教会設立の機運が高まり、まずは神殿普請を目指して土地を探そうとしますと、木下寿美子先生から
「あんたらは土地を探したらいかん、おたすけで与わるから。」
反対に、その当時の範三会長様からは
「早よ、探せよ。早よ、せえよ。」
と…全く真逆の親の声、どちらも深い親心であり、私たちは全く
身動き出来ない5年間を過ごさせて頂きました。
その他の部内の教会が次々と建ち上がっていく中で正直、心の中ではまだできない無念な思いがありました。
それでも教祖百十年祭以後、私たちがおたすけをした方々が次々と住込み、またその方々からにをいがかかり、布教所としてどんどんと拡がっていきつつありました。
その頃天浦分教会では多額の普請金の返済をされていましたので、仕切りといえば、何とか救けて頂いたご恩報じをと自分たちの苦労をお供えする意味で夫婦で垂水からおぢばまで100キロ・200キロの距離を徒歩で往復したり、何度もそういった理作りをする程もう必死の思いでした。
即死状態からの奇跡
そんな或る年の10月末、・・・忘れもしません。
会長が倒れました。解離性くも膜下出血レベル5脳幹動脈瘤2発破裂で呼吸停止─
ほぼ即死状態で救急車で病院に運ばれ、主治医から、「息の根が繋がっているだけでも有難いというほどの重傷で、恐らく開頭手術で、元に戻ることは不可能、最悪は植物状態で機能も戻らない、口もきけないでしょう。」と聞かされました。
また大変難しい手術になるので8時間はかかると言われました。
それが僅か2時間半で看護師さんが私たち家族を呼びに来たんです。
その瞬間…「あぁやっぱり駄目だったか。」と思いました。
しかし看護師さんの口から「大成功ですよ!」と
・・・なんと、開頭せずにソ径部からカテーテルで細い血管を通し、脳幹の破裂部分を塞ぐコイルがバツンッバツンッと決まりました。
これは数年後にわかった事実ですが、実はその時その病院には県下に3~4台しかない最先端のカテーテル治療ができる医療機器がつい最近導入されたばかりでした。
更に駆けつけて下さった医師がそれを扱える方だったんです。
救かるだけの裏づけ
実はこの奇跡の裏には、理の親である天浦分教会の木下範三前会長様が「一郎くんが倒れた!」と、そのことを聞きつけて即座に部内教会の神殿建築のために於いておかれた一千万円という理立を上級に運んで下さり、お願いづとめをして下さったという真実の裏付けがありました。
やっぱりここ一番救けて下さったのは、理の親でした。
その理で奇跡の生還を果たしました。しかし手術は成功したけれど、まだ意識は戻りません。
倒れたその夜に、天浦分教会では当時の住込み全員で緊急ミーティングが開かれ、布教師の仲間が全員、この節に対して心を定めて納消して下さいました。
ある青年さんは新婚旅行の費用を全額・ある婦人さんはその場で指輪を外して賽銭箱に投げ入れ、皆が財布をザーッと空けて、退院するまでの間、毎晩教会の皆が十二下りのお願いづとめをして命乞いをして下さいました。
天浦において、こんな姿はこの節の後にも先にもありません。
これは天浦分教会が食べるに食べれない貧しい時代に、八生兵庫の信仰初代西村久子祖母が義理の妹である理の親木下寿美子先生の理を受け、まだ深い理合いはわからないながらも、何とかと陰で教会に尽くし、教会の住込みの方にも心をかけて、お米を運び、物を運び、着る物を運びととにかく陰で陰で尽くされたそうです。
そして孫の代になってこういった形で伏せ込まれた理が吹いてくるんですね。
まさしく『尽くし運んだ理はどこにもいてはせん。』
無念を嘆いた祭文
確か、倒れた直後の布教所の月次祭では、私が祭主を勤めました。
正直、十年間どの親戚よりも人救けを一生懸命やってきて、その答えが主人が倒れ二度と健康な状態には戻らないかもしれない・・・
この実情を全く受け止めることができず・・・「ただ無念です。本当に無念です・・・」と祭文を奏上したことを思い出します。
その頃ある有名な先輩布教師が『西村さん、あなたたちがこれまで十年間一生懸命やってきた苦労に、いよいよこの節から芽が切れて双葉が出てくるのよ。』
そう言って下さいました。
・・・今なら痛いほどよくわかりますが、その時の節の渦中にいた私には分かりかねる心境でした。
けれでも、確実に教祖は道をあけてやるために倒して下さったんです。
理だけが頼り
とにかくおさづけを取次ぎ、それでも意識の戻らない主人の横についていても神様のご守護は頂けない・・・と、倒れて5日目でしたが、私は女子青年の行事があり人さまをお連れしておぢばに帰らせて頂いていました。
ちょうど神殿を参拝をさせて頂いているときに、携帯電話に「今、意識が戻りました!」と・・・その瞬間、やっぱり『人を救けてわが身救かるや!』と。
そして、少しずつ動けるようになってきて、11月の26日が迫ってきた時に主治医に「この日だけははずせませんので、どうかおぢばに帰らせて下さい。」とお願いしました。
まだ眼底出血で全盲の状態でしたので病院側も「どうなっても知りませんよ・・・じゃぁ24日間で退院して下さい。」と。
その時の脳外科の先生がこう仰いました。
「奥さん、僕は天理教のことはよく知りませんが、ご主人はその神様に救けられましたよ。病院はじまって以来の奇跡です・・・同じ症状で入院した方は、未だに機能も言語も戻らない・・・」
本当に教祖が鮮やかなご守護を下さいました。
念願のたすけ一条へ
さすがに父も大事な長男の命の危機を目の当りにして創業90年の会社を閉じて、その土地を天浦分教会にお供えしてくれました。お陰さまで、その場所で布教所を再びスタートさせて頂きました。
そして天浦分教会より「この土地は、西村さんのところにずっと木下寿美子先生が通い続けた場所だから、飛地境内地ということで神殿建築をしなさい。」とのお赦しを頂きまして、この時に教会の土地が定まりました。
無の中からの第一歩
それからすぐ教祖百二十年祭の三年千日の旬には「我が身我が家のことは言うのやないで。」と・・・親の声を頂いて、普請の”ふ”の字も口にせず、親孝行に徹して勇みに勇んで年祭活動を通り切りました。
いよいよ年祭が明けて、神殿普請・教会設立に向かっての具体的な動きが始まります。
・・・で、気楽なもので私たちはアマちゃんですから、建設会社が決まったら勝手に普請は出来上がると思ってました。
しかしそこには現実、資金が要るんですね。
私たちはお尽くしのために作った借金こそあれ、私たちの手もとには一銭の資金も無かったんです。
大きなお尽くしのできる信者さんがいる訳でもない・・・
普請をする資格作り
そこで普請金の借入れのために何件もの銀行を回りましたが、ことごとく蹴られました。
あぁ、ここで頓挫・・・もうこれで終わりかなぁ・・・
─ 3月26日の日でした。最後の頼みの綱であった銀行に断られ、おぢばの北大路をションボリと歩いていました。
そんな私の姿を(兵神)大教会の俊子奥様が見かけて下さり、次の日の朝に「順子さん、何があったの!すぐ相談に来なさい!」とご連絡を頂きました。
その親の理によって気づかせて頂いたことは、「理立が足りてなかったんだ!・・・1億5千万の借り入れをするだけの資格作りが足りなかったんだぁ!神様がお座り下さるたすけ道場の建築に人柱も事故もなく普請をさせて頂ける資格作りをさせて頂こう!」と。
俊子奥様の励ましにより、そう思えたときに気がシャンッとしまして、そのときにパッとひらめいた方のところに行きました。
このたすけ道場の普請の値打ちをお話しさせて頂き無理を承知で頼み込みました。
何の関係もない初めての方がこの心意気だけで「わかりました、3日後に振り込みます!」とお返事下さいました。
「借用書も何もいらない・・・人救けをしているあなたを信用する。」
とまで言って下さり、本当にありがたい御守護を頂戴し、その普請の一割を理立として上級に運びました。すると見事なほどにその直後、最後の銀行に行きますと、その銀行の支店長さんから・・・「以前から天理教さんに貸したかった・・・天理教さんと関係を持ちたかった!」と快く借り入れを承諾頂きました。その理立を運んでからというもの、滞っていた問題が悉く拓かれていきました。
待ちわびた吉野のひのき
神殿を担当して下さった材木屋さんの社長さんが大変素晴らしい方で、私たちのたすけ道場のために吉野の立派なひのきを取り置いて下さっていたんです。
そのひのきに白い布を巻いて、大きなトレーラーに乗せられて大開通を運ばれて来ました。
そしてクレーンで三階の窓からゆっくりと中へ運び込まれ・・・もう言葉にできない感動でした。
その心ある社長さんが「あんたらは、ほんまに熱心におたすけしとんやから、いくらでも協力するで!」と言ってほとんど利益もとらずに、立派なひのきを提供して下さり、十年という長い 月日を経て、本格的に神殿建築が始まりました。
救けていただきました
こうやって声に出して人さまに話す事ってとても大事ですね。
・・・一つ一つ、恩がよみがえってきます。
あぁこんなにも救けて頂いた・・・お陰お陰の中で、私たちは救けて頂いてきたなぁ…胸が熱くなります。
現在、会長である主人は命をおたすけ頂きました!
私は夫婦・親子揃わない一家離散・断絶の運命を救けて頂きました・・・
このご恩に対して、今なお続くこの神殿建築を通してしっかりと人救けをやらせて頂きます。
宜しくお願い致します。
忘れてはならない想い
立教181年3月26日 一郎会長様 団参バス車中の話より
八十年の道すがら
偉大な美容家・木下寿美子先生が、美容師をやめてお道一すじになられて5年後に名称の理を頂かれ、天浦分教会は創立から76年が経とうとしています。
それに伴って私共の西村家も信者となりました。
信仰初代の西村久子が昭和12年にようぼくになり、その3年後に神祀りをさせて頂き、浄土宗から天理教に変わりました。
昭和41年に教祖八十年祭があり、天浦分教会には当時10ヶ所の講社があり、その全部が布教所になるように要請を頂きました。
その頃、西村内張商店から株式会社に組織変更をした時で商売を忙しくしていた30代であった私の父はその声を断りました。
神さまの道具として
そうしたところ当時8歳の私が、神様の道具になって小児リウマチで死にかけました。
更にトラコーマになり、腹は痛いし、関節は痛いし、頭はブヨブヨになって、西市民病院に入院して医者からは「もう、あかん」と言われ、父は仕方なく布教所になる決断をしました。
その時、祖母が初孫である私のために多額のお金を借りて、当時の200万円・・・今でいう2千万をお供えして下さいました。
その後すぐに、不思議なほど鮮やかに私は走り回れるようになりました。
その後は会社もどんどん発展して、順風満帆に日を過ごしておりましたところ、昭和52年に祖母が出直され、その日に当時の名田分教会の会長様より「教会になれ」というお話が出てきました。
高度経済成長で隆盛であった父はまたまたその声を断りました。
しかし、その後阪神大震災で14秒の瞬時にして建物がなくなってさら地になりました。
それでも父はまだ会社を続けようとしました。
元々政治家になろうとしていた私もいよいよ腹をくくって、父や叔父に「教会をやろう」と頼むと「駄目だ!」と一蹴されました。
そしていよいよ44歳の人一倍元気者だった私が、くも膜下出血で倒れました一。
またまた長男である私が家の信仰を進める道具となって、親の声通りに父が心を定め実行するように促すことになるのです。
~ 中 略 ~
ようぼくの使命に目覚めて
その後、死にかけた私はようぼくの使命に目覚め、その後教会設立に向かってまっしぐらに歩みを進めて参りました。
これまで約2千名の方が別席を運ばれ、約360名のようぼくが八生兵庫から誕生致しました。
教会になってからこの8年間で・・・別席者1200名以上、ようぼく約120名を数えます。
本当に教祖の道は尊く有難く素晴らしいなぁ。
この道中には様々な節がありました。
言うに言えないおたすけの数々が思い出されます。
語りつくせば、もうこれだけで一冊の本になりますよ。
誠にこんな結構な素晴らしい道はありません。
にをいがけ・おたすけはようぼくの生命であります。
こんな尊いことをさせて頂いていることに、もっと誇りと喜びを感じて2年後の八生兵庫の十周年、そして来年の大教会創立百三十周年に向かいましょう!
月間よろこびスケジュール
日 程 日 付 | 行 事 | 時 間 |
4月3日(火) | 八生兵庫 婦人の集い | 10:00神殿集合 |
4日(水) | 天浦分教会 霊祭 | 10:00執行 |
5日(木) | 【別席団参①】/<西区布教> | 兵庫9:00発/9:30神殿集合 |
6日(金) | <兵庫布教> | 10:00 神殿集合 |
7日(土) | <中央区布教> | 9:30 神殿集合 |
8日(日) | 【別席団参②】八生兵庫 担当 | 9:00兵庫発 |
9日(月) | <芦屋・西宮布教>/ 成人理立 運び | 10:00 神殿集合 |
10日(火) | <教会長布教所長夫妻布教・おつとめ練習>/前日ひのきしん | 9:30天浦/14:00神殿集合 |
11日(水) 日()日( 土) | 天浦分教会 月次祭 | 9:30執行 |
12日(木) 日()日( 土) | 名田分教会 月次祭 /<垂水布教> | 10:00執行/13:00出発 |
13日(金) | <松山布教> | 5:30八生兵庫 出発 |
14日(土) | 八生兵庫分教会 霊祭/教祖伝勉強会/喜竜会 | 10:00執行/13:00~/18:00 |
15日(日) | 琴緒分教会 月次祭 | 11:00 執行 |
16日(月) | 兵神大教会 月次祭 | 10:00 執行 |
18日(水) | 《教祖誕生祭》 | 6:30八生兵庫出発 |
19日(木) | 《婦人会第100回総会にあわせた春のおぢばがえり別席団参》 | |
20日(金) | <天浦分教会布教実習> | 10:30天浦神殿 集合 |
21日(土) | 八生兵庫ミニ子供会「お楽しみ上映会」 | 14:30~16:30 |
22日(日) | 【別席団参③】 | 9:00兵庫発 |
25日(水) | 天浦青年会活動/修養科生入学受付 | 9:30集合/兵神詰所15:00面接 |
26日(木) | 御本部月次祭 祭 | 6:30八生兵庫出発 |
27日(金) | 婦人会伏せ込み団参/<天理布教>/詰所バザー | 8:00 兵庫出発 |
28日(土) | 【別席団参④】/あまうらおとまり会 | 9:00兵庫発/28日~29日 |
29日(日) | 《全教一斉ひのきしんデー》 | *場所時間は天理時報を参照下さい |
30日(月) | おつとめ練習 | 10:00神殿集合 |
5月 1日(火) | 八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん/前日神名流し (13:00出発) | |
2日(水) | 八生兵庫分教会 月次祭 | 10:00執行 |